10歳から不登校だった僕のブログ

不登校だった僕の復学や患った不安障害等との付き合い20年の記録です

高校中退から幾度も諦めそうになった大学への進学

小学4年生で不登校傾向が現れ、学校に行くことができませんでした。

友人とは疎遠となり、謳歌すべき青春のほとんどをお家で過ごました。

ようやく外に出ることができたのは20歳、県外の大学に進学し、一人暮らしをはじめてからでした。靴ひもを結ぶのに喜びを感じ、大学へ行き、どこにも属さない無職成人男性だった僕が、大学という場所に属し、再び学生に戻ることができました。不安障害にはなったけれども、その頃には調整ができ、そのおかげで前進することができたと考えています。

■何度も諦めそうになった進学

 大検(現在の高認)を取得後、大学への進学は、闇雲に勉強をしていたため、やる気にムラが出て、勉強をする時、しない時(しない時が圧倒的に多かった...)があり、苦戦をしました。

 現役での受験すら準備不足でできず、何をしているのだろうと自分を認めることができない日々が続いていました。そして、2浪で迎えた受験シーズン、準備不足は変わらないままで、3校程度受験をしたものの、A日程、B日程ともに不合格、「やっぱり駄目だ、このまま諦めよう、3浪して、来年頑張ろう...」と甘い考えが浮かび、勉強を終えようとしたある日、父から「2浪と3浪では大きく違うからもう少し頑張ってみたらどうだ」とこれまで見守っているだけでしたが、突然話があり、その声かけからC日程で合格ができそう、かつ、自身が行きたいと思える大学、その1校に絞って、過去問を何度も、何度も解き、毎回ぎりぎりで合格ラインの点数がとれるようなっていました。

 試験当日、これまでの受験とは違い、緊張があり、なんとか届きそうな期待があったからだと思います。過去問を何度も解いていたおかげで、同じパターンの問題が来て、ついていると感じました。試験後の自己採点は合否ラインぎりぎりで落胆していました。合否発表の日まではドキドキを感じ、早くその日が来ないかと1日、1日を長く感じ、待ちわびたのを覚えています。

■合否発表の日

 パソコンで合否判定のため、受験番号等を入力し、結果画面には「合格」の二文字がありました。僕はパソコンの前で「ヤッターーーーーーーー!!!!」と叫びました。嬉しくて、嬉しくて、家にいた全員にすぐに報告し、そして、アドバイスをくれた父親にも、職場に電話を入れて、合格したことを伝えました。「おめでとう」職場なので、その一言だけでしたが、父親から認められたような気がして、とても嬉しかったです。

 

■合格後の憂鬱と期待

 合格後は、すぐに一人暮らしの準備でした。あれだけ嬉しかったのに、ずっと居続けたこの家から出ることがとても不思議でした。父親が休みの日に慌てて、大学に近い、ワンルームマンションの賃貸の手続きを行い、終えて実家に帰った頃には、心身が疲れきっていました。「本当に大丈夫だろうか」と心配にもなっていました。

僕はここから家を離れることができました。父親からの2浪と3浪、この言葉については最初は2浪というのを大学の友人に伝えるのも恥ずかしかったのを覚えています。このことかなとも思ったのですが、後々の就職活動においての履歴書上の印象も違ったのかなと思います。(あくまで自分の印象なので、答えはありませんが...)

(就職活動等については以下にリンクを貼っておきます。)

hibalog.hatenadiary.jp

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