10歳から不登校だった僕のブログ

不登校だった僕の復学や患った不安障害等との付き合い20年の記録です

不登校児と周囲の関わり

小学校4年生の三学期から不登校傾向があらわれた僕は、なぜ行くことができないだろうと自分でもわからず、友人から「なんで学校に来ないの?」と聞かれても、しっかりと説明することができず、モヤモヤした日々を過ごしていました。

そのような時に一時ではありますが、周囲のサポートを受けて学校へ行くことができる時期がありました。本日はその時のことを綴っていきます。

■親からのカウンセラーの提案を拒否

 不登校傾向であった時に親からカウンセリングを受けてみてはとの話をもらうことがありました。しかし、僕は自分でもなぜ行けないのかわからないのに、知らない誰かに会って話をしたって解決しないと考えて、拒否しました。親からは「別に話さなくてもいいから」と言われましたが、嘘に決まっていると思っていました。(病院へ行く前に、「痛いことはないよ」っという親の言葉を疑うのと同じです)

  

 今、親の立場になって思うことは、一つの方法として専門家の手をかりることができるのは良いことだと思っています。上手くいけば、後述しますが、小学校5年生の担任の先生の関わりが効果を生み出すことがあったように、良い方向に進むことがあるからです。だからといって、何かしらの不安やストレス等によって心身が疲れてしまっている場合もあります、その時に知らない人と会って話すというのはけっこうハードルが高いと思います。元気がない、心身の疲れがみえるような場合には思い切って休んで、その後、その後、調子が良さそうな時に話してみるとまた違う答えが返ってくるかもしれません。

■小学5年生の担任の先生からのサポート

 どのようなきっかけでそうなったのか記憶にはないのですが、小学5年生の担任の先生はご自宅に他のクラスメイトとなぜか僕を招いてくれる機会を設け、クラスメイトと遊ぶ機会やクラスの問題が起こったような時も、喫茶店に担任の先生と相談をしたい生徒、そこに僕も同席させて一緒に話をして、時より同じ年齢の僕の意見を聞くなど、クラスメイトの相談役まではいかないものの、先生の補佐役のような感じで、役割を与えられることで、僕とクラスメイトの繋がりが途切れないようにする一つの方法だったように思います。実際、そのおかけで、クラスメイトと疎遠にならなかったため、学校に行きたくなった時に行くことへのハードルが下がりましたし、何より担任の先生を信頼していたので、学校に行きたいと思う機会が増え、途切れ途切れではありましたが、登校する日が増えました。

  

 この先生には6年生も担任でいて欲しい、担任でなくても何かあった時は相談にのってほしいと思っていたのですが、それはかないませんでした。先生は産休・育休でお休みに入ることとなったのです。とてもめでたいことではあったのですが、その時の僕にとっては、また、僕が好きになった人が僕から離れていと悲しい気持ちになったことを覚えています(”また”というのは小学校1年、小学校3年生頃に仲の良い友達が引っ越しをすることがあってそう思うようになっていました)。

 結局、僕は小学6年生は卒業式を含めて一度も登校することはありませんでした。

■中学校2年の学期末までは2日間だけ

 中学校進学時は真新しい制服、カバンを持って、入学式には出席しました。クラスにいる時は小学校の頃の友人はいましたが、6年生の1年間疎遠になっていたため、顔を会すのも気まずく、また、何を話していいのかもわからず、嫌な気持ちになっていました。友人だった人が友人でなくなるという経験はとても悲しいし、寂しいです。

 そう思うと、小学5年生の担任の先生がクラスメイトとの関係を途切れないようにしてくれた働きかけは大切なことだったと思います。あの時、継続して6年生も担任でいてくれたら、違った将来があったのかなと少しだけ考えることがあります。結局、僕が中学2年生の学期末までの登校は2日間だけ、たまに中間・期末テストを受けるだけでした。

 その後、僕は中学3年生の時だけ受験のためだけに通学するようになります。

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