10歳から不登校だった僕のブログ

不登校だった僕の復学や患った不安障害等との付き合い20年の記録です

休職して、心を休ませよう

連日、午前0時過ぎまで働き、新たな部署、新たな業務で効率的に業務を行えていない。「何をしているんだ」と心の中で何度も、何度も思った。上司もピリピリしている、相談がしづらい、あげくには「君の年次ならもっと早く出社しなさい」「無駄な動きが多い」「甘い評価を受けて」と叱責も受けた。僕はどんどん塞ぎ込んでいき、深夜に帰宅後、子どもの寝顔を見ながら、虚しさがこみ上げて来て、涙が流れました。

■ 僕が休職をするまで

 入社から8年後、部署異動が決まり、慌ただしい日々を過ごしていました。慣れない空間、慣れない人、課長を除くと年次では一番上になっていました。まだまだ若手よりの中堅の感覚でいましたが、課長の右腕にならなければいけないと思っていました。

 しかし、思いとは逆で、課長のイライラの的になり、慣れない業務で効率的にできず、業務過多で連日深夜まで残業が続きました。朝は5時半に起き、急いで準備をし、子どもを保育園まで送迎、始業30分前までには着き、どうしても遅れる日はあったとは思いますが、上司にも子どもを送迎していることを伝えていたのにも関わらず、ある日「今度の面接でも伝えようと思っていたが、君の年次ならもっと早く出社しなさい」と言われました。その時にはもう、僕の心身が疲れ切っていて、上司が何を言っているのか、なぜ、了承を得ていたことを蒸し返すように言ってくるのかがわからず、反論できませんでした。

 

 そして、心身の疲れがピークに達し、簡単な業務でミスを起こして、上司から叱責を受け、その時に視界がぐにゃっと曲がる感覚を覚え、頭痛や息苦しさ、不安感等持病も重なり、悪い方向に進んでいると強く感じていました。

 「もう、何もできない、役にも立てない」、周囲の後輩たちのことを考えれば考えるほど「無責任、根性なし」と虚しい気持ちでいっぱいになり、涙がこぼれ、身体は重く、会社を辞めたくて仕方がありませんでした。

 かかりつけの病院で現状と症状を伝えると、「うつ状態により3か月間の自宅療養を要す」と診断を受けました。新たな部署で活躍したい、課長の右腕になる、僕の期待とはまったく違う結果となっていました。

■ 休職の原因を考えると

 現在は復職をし、5年が経過しています(再び調子が悪く、また休職しそうですが...)が、この時は新たな部署で活躍をする!課長の右腕になる!と期待に胸を膨らませて意気込み過ぎ、そして、その思いとは裏腹にまったく活躍できない、そして課長からも認められない現実を一人で抱え込み、誰にも話をすることができなかったことが大きかったように思います。不登校から大検取得、大学へ進学し、就職、ほとんどのことを一人で解決してきたため、誰かに頼る、寄りかかることが苦手だったのです。(もちろん、不安障害という病気を元々持っていたことも原因ではあります)

 休職の診断を受けるまでは何度も仕事を辞めることを考えていましたが、心身が疲れていて、冷静な判断ができない状態であったと思い、辞職ではなく、休職を選択しました。大きな決断は休んでからでも良いと考えました。

 幸い、ファイナンシャルプランナーの資格を取得していて、傷病手当金等、休職の間の生活費については十分なんとかできると知っていたのも大きかったです。

■ 心をやすませよう

 休職期間中は服薬の変更やこれまで通院していた病院を替えて、別の病院へと通い始めました。最初はパニック障害が起きた時と同じような状況になり、不安感から電車に乗ることも難しい状況に陥ってしまい、本当に復職できるのかとても心配になりました。

 

hibalog.hatenadiary.jp

 

 しかし、身体に合う薬があり、ある程度、休職する以前の身体の感覚に近い状態にまでなり、先生から復職に向けて、不安感が出てきた時の対処法を考えてみてはと言われ、どのようにするのがいいか迷いましたが、その時に「プレジデント」という雑誌をご存知でしょうか。↓の記事を本屋で読み、マインドフルネスのことを知り、心を休ませる、整える時に使うようにしています。

president.jp

 

 

 その他にも、お手洗いで手に水を溜め、水の冷たさや柔らかさを感じて、心を鎮めるようにしています。コロナ禍で手洗い、うがいは大切ですし、その時に少し心がざわついているような感じがある時に使っています。水は人間の身体のほとんどを占めていますし、柔らかい優しい感じでもありながら、勢いをつければ剣をも折ることができる程、固く強くもなります。そんなことを思いながら、水の優しさと強さで心を和ませるようにしています。